東京高等裁判所 昭和37年(う)1002号 判決
被告人 立川秀雄
〔抄 録〕
控訴趣意第一点乃至第六点について
所論は(一)被告人は原判示のように原判示松戸駅下り線ホーム上に於て下番運転士を確保連行すべく当局側と対峙していたのではない。また右ホームから線路上に飛び下り逃げようとした運転士宇津井一雄の腕を抱え同人を組合側に強制連行しようとしたものでなく、これを阻止しようとした野村公安官の指を咬み傷害を負わしめたものではない。組合側は当局側とその前夜下番運転士は運転士詰所に於て点呼を済ませその後双方原判示説得をなし組合側の職場大会に参加するか当局側の命令に従うか運転士の自由意思に任せることとし、双方共ホーム上に集合していたのに、当局側は右協定を無視し直接ホーム上から下番運転士を埓致しようとしたため混乱し、下番運転士宇津井一雄は身の危険を感じこれを避くべく線路上に飛び降り職場大会に参加する意図で腕を抱えた組合員等に偽装抵抗を試みいたところ、野村公安官等は上司の命令を待たず一斉に線路上に飛び下り保護と称し運転士宇津井一雄の奪還を計り、野村公安官が同人の首に手をかけこれを引張らうとしたのであつて、その際野村公安官は被告人から咬傷を受けたと称しているのに過ぎない。(二)原判決は野村公安官の本件公務執行の具体的内容として下番運転士の保護、強制連行の阻止、当局側への確保等である旨判示しているが、第一野村公安官は上司の指揮命令によつて公務として行動したものでなく、興奮状態に陥つたまま個人的闘争心のみにかられ組合側から右宇津井一雄運転士を奪還せんとしたもので、公務の執行と云うを得ないのみならず、当局側への確保の如き当局側が右運転士を収容し自己の支配下に置くことは法律上の根拠がなく、野村公安官は犯罪捜査のため公務の執行をなしたのでないから、右運転士の連行を阻止する権限もない。(三)原判決は野村公安官の行為が適法な公務執行行為である旨判示しているが、同公安官の運転士の確保保護乃至連行阻止または排除等の具体的行為が如何なる法律的根拠に基く適法な公務の執行行為か判断していない。これにつき原審に於て訴訟関係人が夫々主張したものであるのに原判決がこれを黙殺したのは理由不備である。(四)運転士宇津井一雄の検察官に対する供述調書は概ね公訴事実に符合しているが、同運転士が原審第六回第一四回第一五回各公判に於ける供述に比し重要なる部分につき単なる思い違いと思われない矛盾等があり、右公判廷に於ける供述に比し信用すべき情況の下に作られたものとは到底思われない。然るに原判決はこれ等検察官に対する供述調書を刑事訴訟法第三二一条第一項第二号の書面として証拠として採用引用したのは違法である。(五)原判決はまた被告人の検察官に対する供述調書二通を採用しているが、被告人は本件につき逮捕留置されたので、事の意外に驚き一時も早く出所すること及び事件を穏便に収めるため宇津井一雄、野村吉勝の供述に合わせ迎合的に自白したものでその自白は任意にされたものではない。(六)原判決引用の原審証人野村吉勝の証言、宇津井一雄の検察庁及び原審公判廷に於ける各供述はいずれも野村吉勝が咬まれた瞬間等を目撃していないのだから、判示事実を証明するに足る厳確な証拠が明らかなものと云わなければならない。従つて原判決は結局被告人の検察庁に於ける供述が、自白と認められるとしても、自白のみにより被告人を処罰した違法があることに帰すると云うに在る。
よつて案ずるに、原判決認定の事実は総てその挙示する証拠により優にこれを肯認することができるので、これ等証拠によれば原判示日時場所に於て、原判決が詳細摘示するように当局側と組合側が松戸駅下り線ホームで運転士宇津井一雄を廻り相対峙し同運転士が電車区長仲田茂夫に対し職場大会に参加せず、当局の業務命令に従い就業すべき旨表明したのに、多数の組合員に包囲された状態となつたので、これを避くべく線路上に飛び下りるや、被告人は同運転士を追つて抵抗する同運転士の左腕をかかえ数名の組合員と共にこれを囲み強制的に上野駅寄りに連行せんとしたので、公安官として運転士の確保と保護の任務を与えられ待機していた公安職員野村吉勝も線路上に飛びおり右集団の中に入り込み、公務として被告人等の強制連行を阻止し同運転士を保護し当局側に確保しようとし、同運転士の背後に赴き同運転士を組合側に連行せんとする被告人等に暴力はよせ等言い乍ら、同運転士の左肩に手をかけ後方へ引こうとしたるも、同運転士の左側に於て腕を押えていた被告人はこれを肯んせず、右野村吉勝に対し手を放せ放さなければかむぞと呼び乍ら、右野村吉勝の右手示指に咬みつき公務の執行を妨害し、同人に原判示傷害を負わせたことを認めることができる。従つて右ホーム上に当局側組合側が集合していたのは所論のように単なる蝟集でなく、当局側組合側共所論協定如何に拘らず何よりも運転士宇津井一雄を自己側に確保すべく、組合側は早くも右ホーム上に於て当局側と対峙していたこと、運転士宇津井一雄が電車区長仲田茂夫の点呼を受け当局側の命令に従う旨表明したこと、組合側が同運転士を取り囲んだので、同運転士はこれを避け線路上に飛び降りたこと、右線路上に於て同運転士は被告人等に腕を抱えられたので逃げんとして抵抗していたこと右抵抗が所論のように偽装抵抗でないこと、野村公安官等が予め受けた命令に従い職務として線路上に飛び降り右集団の中に入り、同運転士の肩に手を掛け後方へ引こうとしたこと、右行為が所論のように野村公安官の個人的闘争心によつたものでないこと、右後方へ引こうとした際これを拒まんとした被告人により野村公安官が原判示のように指を噛まれ負傷したこといずれも明らかである。而して記録を精査検討するに、所論被告人の検察庁に於ける供述が任意になされたものでない疑は認められず、また運転士宇津井一雄の検察庁に於ける供述は同人の原審第六回第一四回第一五回公判に於ける供述に比し整然且つ明瞭であつて、信用すべき情況の下に作成されたものであることが認められ、従つて原判決には証拠能力のない証拠を引用した違法はない。然り而して野村公安官は上司の指揮、命令によつて運転士の保護、強制連行の阻止当局側への確保の公務を執行したこと前認定のとおりであつて、野村公安官にかかる権限あること日本国有鉄道法第三二条鉄道公安職員基本規程第三条第五条鉄道公安職員の職務に関する法律第一条第八条等の文理に照らし明白で、暴力を以て宇津井一雄運転士を連行せんとするのを阻止することは鉄道公安職員として当然の職務執行であつて、野村公安官が右拉致しようとするものを犯罪として検挙する意思がなかつたからと云つて、右阻止を目して職務の執行でないと云うことはできないし、右の如き強制連行等を阻止するため運転士の承諾の下に安全な場所に収容することも公安官としてまさに、執るべき措置であつたことは明らかであつた。ところで、鉄道公安職員としての職務につき法律上の根拠を示し判断することは刑事訴訟法第三三五条の要求するところでないから、この点について判示する所がなかつたからといつて、これを目して原判決に理由不備の違法あると云うことはできない。また原判決は被告人の検察庁に於ける自供の外、右自供の真実性を裏付けするに足る原審証人野村吉勝の証言その他の補強証拠を挙示しているのだから、刑事訴訟法第三一九条第二項の違背はない。
以上のとおり原判決の認定事実は挙示の証拠により優にこれを認定することができ、事実の誤認その他所論の違法はなく当裁判所の事実取調の結果に徴してみても、右認定を覆すに足らないから原判決には所論のような違法の点はない。論旨は理由がない。
(尾後貫 鈴木良 飯守)